ネットカフェ難民に習うミニマリズムと幸せのあり方について




先日、ネットカフェ難民のドキュメンタリー番組を見ました。

ご存知の方も多いでしょうが、ネットカフェ難民とは、住所がなくネットカフェで生活している人たちのことを指します。

 

元々は派遣社員として働いていたけど契約を切られてアパートを追い出されてしまった人や、実家住まいで親と喧嘩をして家を飛び出した場合なんかに安く泊まれる場所を求めてネットカフェに泊まるようになるパターンが多いようです。

新しい住まいを探そうにも、仕事をしていなかったり貯金がなかったりでアパートの契約をすることができず、日雇いのバイトなどでお金を稼ぎながらその日の夜はまたネットカフェに泊まる、というのを繰り返します。

 

そんなネカフェ難民の人に、取材スタッフが問いかけました。

「今の生活は幸せですか?」

そう聞かれ、彼はこう答えました。

 

「幸せかどうかはわからないけど、切羽詰まっている方が生きている感じがする」

それを聞いた時僕は、確かにそうかもしれない、と感じました。

 

ネットカフェ難民は必要最低限すぎるミニマリスト

ミニマリストというのは、その人にとって最低限のものだけを所有して生活する人たちです。

一般的なミニマリストと呼ばれている多くの人は、家具は少なくてもノートパソコンぐらいは所有しています。

 

一方で、ネットカフェ難民の人は、布団もパソコンも、住まいすら持っていません。なんならお金すら持ってない。必要があれば、その日に必要な生活費をバイトで稼ぐ。ある意味、究極のミニマリストです。

 

彼らを見ていると、そんな状況なのにどこか余裕すら感じます。銀行の残高を含めた全財産が三千円もないのに「困りましたねー」とか言いながら笑っている

 

きっと彼らは分かっているんだ。

この日本において、本当に飢え死にするような事はまずあり得ないと。そして、彼自身も最低限の労力で生きていくための方法を知っている。

もっと必死になって這い上がってその生活から抜け出そうとするネットカフェ難民が多いなか、彼はその暮らしを受け入れているように見えた。

 

もちろん、苦労なくお金が手に入るなら、彼も今の生活からは抜け出すだろう。でも、寝る間も惜しんで仕事を探したりお金を稼ぐ努力をするよりも、今の生活を続けることを自分で選択していた。

 

もはや最低限すぎるミニマリストだ。「生活する上での最低限」ではない。「生きるための最低限」だ。だけどどこかで、この上ない身軽さを感じる。

 

家も荷物もないなら出かけた先で寝床を探せばいいから、来た道を戻る必要もない。お金がなくなったら食べて寝る分だけ稼げばいい。

当然、簡単に仕事が見つからないこともあるだろうし、体調を崩したらどうするんだとか色々あるけど、彼は「色々あって大変だからこそ生きていると感じる」と言う。

 

最近「生きてる!」って感じることある?

僕にとって今の生活はとても穏やかで、いいことも悪いこともあるけど、そこまで感情の振れ幅は大きくありません。死ぬほど嫌な出来事が起こるわけでもないけど、心臓が飛び出るほど嬉しいこともないです。

それはある意味幸せないことかもしれないけど、退屈で少し物足りなくも感じます

 

食事は一日3回、お腹が空いていなくても時間になったら食べるし、あんまり眠くなくても明日の仕事に備えて早めに寝ます。お金がないわけでもないから、コンビニでは値段を見ないで買い物をします。

 

こういった生活は、余裕がある生活といえば聞こえはいいけど、本来の人間のあり方からすると単なる贅沢とも取れます。
元々人間は活動をするために食事をしていたわけだから、過剰な栄養を摂取する必要はないし、眠くないなら多少寝なくたって支障はない。

 

これは、お金や時間に余裕があるから行う贅沢だ。

 

本当に最小限の生活をするなら、限界まで空腹に耐えて食事をとり、疲れた体を休めるために眠るべきだ。

実際、取材を受けていた彼は、お金がないから限界まで食事をとらず、空腹の中、炊き出しを行っている配給所に並んで熱々の豚汁を頰張る

 

なかなか仕事が見つからない中、ようやく仕事を見つけて久しぶりに現金を手に入れると、牛丼屋に行き卵と味噌汁をつけてその味を堪能する。そして、数日ぶりに銭湯で汗を流すと漫画喫茶で深い眠りに落ちる・・・

 

確かに端から見たら決して裕福な生活とはいえないし、僕だってそこまでの生活を送りたいわけではない。
だけど彼が「生きている」と感じる理由は良くわかる

お腹が空いているからご飯が美味しかったり、疲れているから寝るのが気持ちよかったり、そういうので結構充実感や幸せを感じたりするのだ。

 

だからといって、じゃあお前明日から餓死寸前まで飯食うなとか、24時間不眠マラソンしろよとか、そういうことを言いたいわけではない。
いかに普段の生活を、そういった感情の振れ幅が大きい毎日にするのかが大事だということだ。

 

仕事が退屈でつまらないなら、いつまでも続けていないでさっさと辞めて、楽しいと思うことを仕事にする努力をするべきだ。会社のルールに合わせて生活スタイルが決まるのが苦痛なら、自由な生活スタイルで働ける仕事を探すべきだ。

 

いくらお金があったって、仕事が辛いわけでないからって、平凡で退屈な生活を続けて幸せか?
それで「生きてる」って思えるか?ただ「死んでない」だけじゃないのか?

 

つまらなくても安定した生活を望む人もいると思うので、それ自体は否定しません。
だけど、そういう人は死ぬときに「幸せだった!」と満足して死ぬことができるんでしょうか。

と、ただのドキュメンタリー番組を見て思いました!!

 

僕は、お金がなくても毎日ドキドキしていた昔のような生き方をいつかまたもう一度してみたいです!!

 

 

それではっ!!





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